遠藤暁のブログ

青年海外協力隊に関することを中心に、海外で感じたことや自分の思い、サッカーについてなどを発信するブログです。

人間は置かれている環境に左右されるのが現実 勉強さえできない環境だってある

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こんにちは。遠藤暁(@str_se)です。

 

先日、面白いツイートを見つけました。

 

 

 

“そもそも「努力する」ためには「努力できる環境」が整う必要がある ”

 

“人は能力差より環境差”

 

人間は、自分が置かれた環境の影響を大きく受けるもの。

たとえどれだけ恵まれた才能を持っていても、それを活かせるような『環境』が整っていなければ、そもそもその才能を持っていても意味がない。

 

こういったシーンは特に、途上国でも目にすることが多いです。

やっぱり『環境』が及ぼす影響は大きいし、人間は『環境』に左右されるというのが事実なんだなと思います。 

 

この『人間は環境に左右される』ということに関して、もう少し深く掘り下げてみます。

 

環境の問題か個人の問題か

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日本では、なにかできないことがあると『そんなの自分が悪い』『自分次第』『自己責任』というように、すべて『個人の問題』として扱われることが多いです。

 

でもそれって、正しいんですかね。

『個人の問題』以外にも、『置かれている環境の問題』というのは存在すると思うんです。

 

『やりたくてもできない』という環境の問題

 

途上国に足を運ぶと、『やりたくてもできない』というシーン、いわゆる『環境の問題』は痛いほどわかります。

 

例えば

・勉強したくてもできない

・働きたくても働けない

・病院にいきたくてもいけない

こういったことは、よくある話。

 

“勉強したくてもできない”というものを例にみていきます。

 

勉強するためには勉強するための『環境』が必要

 

当たり前ですが、勉強するためには勉強するための『環境』が必要です。

 

・学校があって

・勉強道具があって

・学校に通える余裕があって

・勉強を教えられる先生がいて

・先生にお金を払ってくれる人がいて

 

こういった要素がすべて揃って、初めて子どもたちが勉強する『環境』が整うわけです。

 

的外れな意見

 

しかしこういうときに必ず

“学校がなくても勉強はできる”

 

“勉強道具がなくても勉強はできる”

というような意見が出てくるんですよね。

 

ぶっちゃけ、こういった意見は的外れです。

 

確かに学校がなくても勉強はできるし、勉強道具はなくても勉強はできる。

 

でもそもそも学校を建てるためにお金をかけられないような場所や、勉強道具すら買えない場所で、子どもがちゃんと勉強をしているとは思えません。

 

そういった場所は、勉強以前に他の問題があると思うんです。

 

今日食べるものに困っていたり、本当にギリギリの生活をしていたり。

子どもも労働者のうちに数えられている可能性が高いですよね。

 

そうなってくると、もはや『勉強ができる環境が整っている』なんて言えませし、勉強どころではないんです。

 

勉強がしたくてもできない環境

 

こういったように、そもそも『勉強ができる環境』にいないと、もはや勉強なんてできないんですよね。

 

途上国では、道端で物乞いをしている子もいます。

物乞いをしている子たちは、もしかしたら勉強をしたいかもしれない。

 

でも、とてもじゃないけど勉強をできる環境にいない。

そういった場合、『勉強ができない=自己責任』で終わらせてしまっていいんでしょうか。

 

勉強がしたいのにできない、環境が整っていないひとに対して『自分のせいだろ』というのは、もうめちゃくちゃな言葉の暴力。

 

こうして『自己責任』として終わらせてしまいがちなのは、日本という国が本当に恵まれた『環境』にいるからなんだと思います。

 

日本の環境は整っている

 

ここまでみてきた『環境』に関して、日本は本当に整っていると思います。

 

・勉強したければできる

・働こうと思えば働ける

・自分がやることは自分で選べる

 

中にはいろんな問題があって恵まれた環境にいないひともいるかもしれませんが、その割合は途上国の国々に比べたら圧倒的に少ないはず。

 

なにかに挑戦して失敗しても死なないし、そもそも挑戦しようと思ったら『挑戦できる環境』が整っている。

 

でもこの『日本の環境が整っている』という事実に、気づいていないひとが多いんですよね。

 

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日本の当たり前

 

日本は本当に環境が整っていますが、日本人にとってはそれが『当たり前』です。

そういった『当たり前』の事実には、普通に生活していては気づけないんですよね。

 

ぼくだって、途上国に足を運んで『環境が整っていない場所』を自分の目で見たからこそ、『日本の環境が整っているんだな』という事実に気づいたんです。

 

日本の外に出たことがないひとは比較対象がないため、『日本の環境が整っている』という事実や『環境による影響の大きさ』を認識できない。

 

だから結局『できないのは自分のせい』『すべて自己責任』という結果になるんだと思います。

 

『自己責任』は『環境』が整っている前提の話

 

そもそも『勉強できる環境』が整っていないのに『勉強ができないのは自分のせいだ』というのは、あまりにも酷。

もちろん勉強だけに限らず、他のことにも言えます。

 

『自己責任』という言葉は、『環境が整っている前提の話』です。

 

・勉強できる環境があるのに、勉強しない

 

・努力できる環境にいるのに、努力しない

 

・挑戦できる環境にいるのに、挑戦しない

 

こういったひとたちに『自分次第だろ』『自己責任だろ』と言ってあげるのは、正しい。

環境が整っているのにやらないなんて、ただやる気がないだけですから。

 

でも

・勉強したくてもできない

 

・努力したくてもできない

 

・挑戦したくてもできない

こういった『環境が整っていない』ひとたちに『自分次第だろ』というのは、厳しすぎます。

 

もっと『人間は環境に左右される』という認識を持つべきだと思いますね。

 

環境さえ提供してあげれば自然と成長していく 

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途上国にいる『勉強したくてもできない子どもたち』には、その『勉強できる環境』を整えてあげるべき。

 

この『環境』を整えれあげれば、少しずつですが自然に成長していくと思うんです。

だって、彼らは『勉強がしたい』という強い意思を持っているんですから。

 

勉強が嫌なら、辞めなさい

 

日本では、勉強ができるのに全然やらない子どもって多いですよね。

 

林修先生は、とある番組内で

“教え子のモチベーションを上げるためにすることは?”

と聞かれ

“やる気がないなら辞めなさいって言っちゃいますね”

と答えています。

 

そして

世界中には勉強したくても家が貧しく、働かなければならない子もたくさんいる。

と説明し、日本の子供や学生は両親が授業料や塾の費用を払ってくれていて、本当に環境が整っていると語っています。 

 

それだけ環境が整っているにも関わらず『勉強が嫌です』というなら、『辞めればいいんじゃない』というのが林先生の回答。

 

自分がいかに恵まれているかもわからない人間が、勉強したって意味がない。

 

もうこの言葉に、すべてが詰まっている気がしますね。

 

環境が整っているのにやらないのはもったいない

 

もう一度言いますが、日本はかなり環境が整っている国です。

林先生がおっしゃったように、日本に生まれた時点で恵まれた環境にいることは間違いない事実。

 

それにも関わらず『やらない』というのは、本当にもったいないですよね。

 

世の中には、『やりたくてもできないひと』がいる。

一方で、『できるのにやらないひと』もいる。

 

『やりたくてもできないひと』からしたら、『できるのにやらないひと』が信じられないでしょうね。

『なんでできるのにやらないんだ』と。

 

恵まれた環境にいることを再認識して、その環境に感謝していきたいです。

それと同時に、人間は環境に左右されるので、途上国の『環境が整っていないひとたち』に手を差し伸べていきたいなとも思います。

 

環境が整っていない場所の環境を整えるのは、環境が整っている場所にいるひとたちがやるべきことだと思うので。

 

 

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