遠藤暁のブログ

青年海外協力隊に関することを中心に、海外で感じたことや自分の思いなどを発信するブログです。

他人事で終わらせない 自分にできることを精一杯やる人生を選ぶ

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こんにちは。遠藤暁(@str_se)です。

 

世界で起こる様々な事件や問題。

実際にそういったニュースをテレビやなにかの記事で見たとしても、それを自分事と捉えて行動に移しているひとは世の中にどのくらいいるんでしょう。

 

 

自分の身の回りの環境から遠いところで起きた問題やあまりに規模が大きすぎる問題を、「他人事」として見てしまっていませんか。

 

例えば日本で親が子どもに食事を与えずその子どもが餓死したとしたらニュースに取り上げられるでしょうし、それを見たひとも怒りや悲しみといった感情を抱くでしょう。その親に対して批判もするでしょう。

 

でも海外の、いわゆる貧しい国で子どもが餓死したら、日本の子どもが餓死したのと同じような感情を抱きますか?

 

 

「抱かない」というひとがほとんどだと思います。

抱かないというか「抱けない」という表現が適切かもしれませんね。

日本に住んでいたら日本での出来事が一番身近なのは当たり前で、遠い海外の国での出来事への関心は薄れるのも致し方ないこと。

 

日本でのことは「自分事」として捉えられても、遠い海外でのことは「他人事」になってしまう。

ぼくはそういった人生が嫌だなと思っています。と同時に、どうしたら「他人事」という感情を失くせるのか。

 

ぼくが導き出した答えが、日本の外に出てもっと広い世界を知ること。

そして実際に海外へ出てみることで、「自分事」として捉えられる対象が増えたのは間違いありません。

 

 

今回はぼくの実体験も踏まえて、他人事を自分事に変えていくことが自分自身の可能性を大きく広げることをお伝えしていきます。

 

 

自分の目で見た“難民”

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ぼくのブログを読んでくださっているひとは、ぼくが難民に関心を持っていることは理解してくれていると思います。

難民に対する思い、関心を持つようになったキッカケに関してはすでに記事を書いているので、もしまだ読んでいないひとがいましたらぜひ合わせてご覧ください。

 

www.satoruendo.com

この難民という問題にしても、日本にいたら難民という話題に触れる機会はほとんどない。

 

ぼくが難民に関心を持つようになったのは、実際に自分の目で難民を見たから。

自分の目で見たら、もう「他人事」として考えることなんてできません。

一種の責任のようなもので、おこがましいですけど「自分がなんとかしないと」という衝動に駆られたんですよね。

 

 

しかしぼくも自分の目で直接難民を見るまでは、難民に対して強い関心を持っていたわけではありません。むしろ「他人事」といて捉えていました。

いや、もはや「他人事」という次元すらいかず、関心さえない「無関心」の状態だったかもしれません。

 

そんな無関心の状態、他人事だったにも関わらず、今では自分事として捉え・考えています。

なにかキッカケがあれば、他人事が自分事に変われるのは間違いありません。

 

 

自分が行ったことがある国での事件

 

海外で起きた事件は、自分が行ったことのある国とない国で身近に感じるかどうかに大きな違いがあります。

訪れたことのある国のほうが身近に感じるのは当たり前のことですよね。

 

悲しくもぼくが今まで足を運んだことのある国で起きた事件、そしてそれがとても身近に感じた経験を書いていきます。

 

 

エチオピアで日本人殺害

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2018年2月〜3月の約1ヶ月間、青年海外協力隊の短期ボランティアとしてアフリカのエチオピアにいっていました。

難民を見たのもこのエチオピアにいた期間。

 

そんななか先日、エチオピアで悲しい事件が起きてしまいました。

 

 

武装グループに襲撃された車に乗っていた日本人が犠牲に。

www3.nhk.or.jp

ショックですね。

 

海外で日本人が犠牲になったら悲しいのは当然ですが、自分が訪れたことのある国での事件となるとまた違った感情になります。

 

日本人が亡くなったことだけでなく、現地で良くしてもらったエチオピアの人がこうして犠牲になることだってもちろん受け入れがたい。

エチオピアで仲良くなった友達の顔が浮かぶし、現地で活動している協力隊の人も思い出しました。

 

一度足を踏み入れた国の事件には敏感になるなと実感しましたね。

 

 

エチオピア航空機墜落 

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この事件も記事の執筆時(2019年4月14日)では記憶に新しいものかと思います。

エチオピア航空の航空機が墜落し、乗客乗員157名全員が死亡したというもの。

www.bbc.com

 

ぼくがエチオピアに行ったときも、エチオピア航空は使っていました。

自分が利用したことのある航空会社での大きな事故。身近に感じるに決まっています。

 

この事件ではたくさんの国のひとが亡くなってしまい、なかには国連職員も含まれているとのこと。

 

生存者が一人もいないというのが恐ろしいですよね。

二度と同じことが起こらないでほしいと願うばかりです。

 

 

バルセロナでの無差別テロ

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また2017年の4月〜6月はスペインのバルセロナスペイン語を学ぶために語学留学へいっていました。

 

そしてぼくがバルセロナにから日本に帰って約2ヶ月後の2017年8月、バルセロナのメインストリートである「ランブラス通り」という場所に乗用車が突っ込み、観光客が十数人死亡、100人以上が負傷するという事件が起きたんです。

 

これは不特定多数を狙ったテロ行為だといわれています。

この事件では日本人の死亡は確認されていませんが、日本人がいるとかいないとかは大きな問題じゃない。

 

 

この事件に居合わせた日本人の方のインタビューが印象的だったので、ご紹介しておきます。

www.huffingtonpost.jp

 

もちろん日本人の犠牲者がいなかったことは幸いですが、ぼくが実際に何度も通ったランブラス通りで現地のひとが何人も亡くなったと思うと胸が痛くなるばかりです。

 

本当に過ごしやすくてステキな街、バルセロナ

テロが起きてしまい「危険」と思われるかもしれませんが、ぼくはまたバルセロナに行きたい。

 

テロが起きた現場をもう一度見て、自分事として「テロ」という問題についても考えていきたいですね。

 

 

他人事として考えず、世界と繋がっているという意識

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もし自分が

 

エチオピアに行ったことがなかったら

・難民を直接見なかったら

バルセロナに足を運んだことがなかったら

 

ここまでこれらの事件を身近に感じたかは正直わかりません。 

もし海外に出ずにずっと日本にいたなら、こうした事件を自分事として捉えられるかわかりません。

 

だからこそ自分がいろんな場所に足を運ぶことは、世界で起こるいろんな問題をより身近に感じるために必要なことだと思います。

 

 

もちろん海外に足を運ばなくても、自分の意識次第では世の中で起こる事件や問題を自分事として捉えることは可能でしょう。

 

でもやはり

 

・自分が訪れたことのある場所

・現地の友達、知り合いがいる場所

・自分が経験したこと

 

こういったものをより身近に感じるのは、ある意味当然のこと。

 

 

世界と繋がっている。自分も世界の一部。

そう思うために、いろんなところへ足を運んでいろんな経験をする。

 

他人事として世の中で起こる問題から目を逸らす人生は、ぼくは嫌です。

自分事として捉え、ほんの少しでも小さなことでもいいから自分にできることをやっていく。

そんな人生を選びます。

 

 

さいごに

 

偉そうに「自分事」なんていう言葉をたくさん使ってきましたが、ぼくもまだまだ他人事として捉えてしまう問題はたくさんあります。

 

でも「他人事」「自分事」に変えていくことで自分自身の変化にも繋がりますし、世界に対する見方も変わるんじゃないかなって思うんです。

 

 

世の中にはいろんな問題がありすぎて、すべてを自分事として考えるのは無理かもしれません。

でも少しでも「他人事」として目を背ける問題を減らしたい。

 

生きている以上、自分に関係ないことなんてありませんから。

 

 

www.satoruendo.com